【知財高裁 / 令和8年8月10日】令和7年(行ケ)第10110号 - 審決取消請求事件(特許法36条4項1号・実施可能要件違反等)

1. 事案の概要(事実経過・請求内容)

原告(特許権者)は、発明の名称を「温調装置及び温調装置用静電整流器並びに温調装置の効率改善方法」とする特許(特許第6906213号。以下「本件特許」)を有していた。被告が無効審判を請求したところ、特許庁はサポート要件違反(特許法36条6項1号)及び実施可能要件違反(同法36条4項1号)を理由として「本件特許を無効とする」旨の審決(無効2023-800073号)をした。
本件は、原告が同審決の取消しを求めて提訴した事案である。原告は、明細書に課題、構成、一定のモデルに基づく作用効果が記載されており、実施例のデータもあるため当業者が過度の試行錯誤なく再現できると主張した。

2. 判決の主文

1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

3. 主な争点

  • 争点1: サポート要件の適合性(取消事由1):本件明細書の記載および技術常識から、パルス状減衰波信号によりクラスターを分解・縮小して冷媒流動性を改善するという課題解決が認識できる範囲にあるか。
  • 争点2: 実施可能要件の適合性(取消事由2):当業者が、明細書の記載および出願時の技術常識に基づき、過度の試行錯誤を要することなく本件発明を実施(物の生産・方法の使用)できる程度に記載されているか。

4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)

裁判所は、取消事由2(実施可能要件)について検討し、以下の理由から原告の主張を退け、請求を棄却した(取消事由1は判断を省略)。

  • 規範の定立(実施可能要件):
    特許法36条4項1号の要件を満たすためには、当業者が明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、物の発明においては物の生産等を、方法の発明においては方法の使用をすることができる程度の記載を要する。
  • 作用機序の不明確性:
    本件発明は「パルス状の減衰波信号により媒体管内の極性媒体に和電子を供給してクラスターを小さくする」という作用機序を中核とするが、本件明細書自体に「推論の部分もある」と記載されており、出願当時の技術常識からもそのような知見の存在は不明である。
  • 実施例の不適合(クレーム構成との乖離):
    本件発明が「静電整流器を媒体管に接続しパルス状減衰波信号を媒体管に伝達する」構成であるのに対し、明細書記載の実施例は「水を満たした水槽内に電極を投入して評価したもの」であり、信号供給手段が異なる。したがって、当該実施例は厳格な意味での実施例とはいえず、本件発明の効果を裏付けるものとは認められない。
  • 設計事項性の否定:
    目的達成のために不可欠な電圧等のパラメータ調整について明細書に記載がなく、作用機序自体が不明である以上、当業者が技術常識に基づいて適正な調整を行い得るとも、それが単なる設計事項であるともいえない。

5. 実務上・判例上の法的なポイント

  • 未確立なメカニズムに基づく発明における開示レベル:
    技術常識上確立していない独自の作用機序(水や冷媒の「クラスター分解」等)に依拠する発明については、単に推論モデルを提示するだけでは足りず、その作用機序や効果を裏付ける具体的・実証的なデータを開示しなければ実施可能要件違反(およびサポート要件違反)を免れないことが改めて示された。
  • クレーム構成と実施例の整合性:
    試験系(水槽に電極を投入するモデル試験)がクレーム上の特定構成(媒体管に直接接続して信号伝達する構造)と乖離している場合、その実験結果はクレーム発明の効果を裏付ける「実施例」として評価されないリスクがある。明細書作成実務においては、クレームの物理的・電気的接続態様と厳密に一致させた実施例データを盛り込むことが極めて重要である。

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