1. 事案の概要(事実経過・請求内容)
本件は、発明の名称を「眼内インプラント用の細胞増殖抑制性コポリマ」とする特許出願(特願2019-569356号)の出願人である原告が、特許庁による拒絶査定不服審判請求不成立審決(不服2023-7349号)の取消しを求めた審決取消訴訟である。 特許庁は、本願発明の特許請求の範囲の記載が特許法第36条第6項第1号所定のサポート要件を満たしていないとして請求不成立の審決をしたため、原告がその判断の違法を主張して提訴した。
2. 判決の主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。
3. 主な争点
- 争点1: サポート要件適合性(特許法第36条第6項第1号)の判断の適否
- 明細書に対象部位(眼内細胞)に対する直接的な実験データが示されていない場合において、作用機序に関する技術常識から当業者が課題解決可能性を認識し得るか。
- 特許請求の範囲に記載された複数の第4級アンモニウム系塩モノマのうち、明細書に記載のない化合物を含む共重合ポリマの課題解決可能性の有無。
- 争点2: 生体適合性に関する審決の判断枠組みの適否
4. 裁判所の判断ロジック(判示の要旨)
(1) サポート要件の判断基準
裁判所は、知財高裁大合議判決の確立した規範に則り、特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲と発明の詳細な説明の記載とを対比し、「特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か」、また「その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものであるか否か」を検討して判断すべきであると判示した。
(2) 本願発明の課題と明細書の記載内容
本願発明の課題は、「眼内インプラント手術後に、その表面に存在する生物が元来有している細胞の増殖を抑制するための、眼内インプラント用の細胞増殖抑制性ポリマを提供すること」にある。
これに対し、発明の詳細な説明の記載を検討すると、以下の不備が認められる。
- 請求項に記載された5種の第4級アンモニウム系塩モノマ(MDPB、DMAE-CB、MAE-DB、MAE-HB、IDMA-1)のうち、MDPBについては「哺乳動物細胞の増殖を抑制する」旨の記載はあるものの、いかなる特性・作用機序に基づくものかの記載がなく、対象細胞の部位も不明である。
- DMAE-CBについては細胞増殖抑制性に関する特性・作用の記載がなく、残る3種(MAE-DB、MAE-HB、IDMA-1)に至っては明細書に何ら記載がない。
- これらモノマを共重合させたポリマを眼内インプラントに用いた際に、眼内細胞の増殖を実際に抑制したことを示す実験結果やデータ等の記載が皆無である。
(3) 技術常識による推論可能性の否定
原告は、第4級アンモニウム基の正電荷と細胞膜の負電荷の静電的相互作用という確立された作用機序に基づき、個別データがなくとも課題解決は推論可能であると主張した。
しかし、裁判所は以下の点を指摘し、原告の主張を退けた。
- 第4級アンモニウム系化合物の細胞に対する作用は、カチオン性中心構造のみならず、疎水性構造やエステル構造等の影響を受ける。
- 細胞の種類によって細胞膜の組成等は異なるため、化合物に対する感受性は様々である。
- モノマが他のモノマと共重合されてポリマ中に固定化された場合、遊離状態の化合物とは異なり、ポリマ表面に存在するもののみが作用を及ぼすため、その作用の程度は実験的に確認されなければ予測できない。
5. 実務上・判例上の法的なポイント
- 医療・材料バイオ分野における実験データの重要性とサポート要件
一般的な化学構造上の作用機序(静電的相互作用など)が公知であっても、生体内の特定部位(眼内等)における標的細胞に対する特異的作用や、モノマを共重合・固定化した高分子状態における物性・薬理効果の発現は、予測性が低い技術分野に属する。そのため、具体的な実験例(実施例データ)を欠く場合、技術常識による推論のみでサポート要件をクリアすることは極めて困難であることを再確認した事例である。 - 選択的記載(マーカッシュ形式等)と明細書開示の網羅性
特許請求の範囲で複数の化合物群(本件における5種のモノマ)を択一的にクレームアップする場合、明細書中に全く言及のない化合物や作用機序の記載を欠く化合物が含まれていると、請求項全体としてのサポート要件充足性が厳しく否定される実務的リスクが示されている。明細書作成時における各選択肢の裏付け開示の要否を検討する上で重要な示唆を与える。
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